伊豆半島北部、富士山麓の高台に位置する文化地区「クレマチスの丘」。そこには“心の美、高潔”を意味するクレマチスの花が咲き誇る。その気品のある美しさは、広大な敷地内のヴァンジ彫刻庭園美術館、ベルナール・ビュフェ美術館などの芸術作品にも通じ、訪れる人の心を惹きつけてやまない。今秋、このクレマチスの丘に現代美術家、杉本博司さんが内装設計と坪庭を手がけた写真美術館「IZU PHOTO MUSEUM」が完成した。
国内外で高い評価を受けてきた杉本博司さんは、近年建築のプロジェクトに関わるなどその活動の幅を広げている。2009年10月には芸術文化の発展に寄与した芸術家に贈られる第21回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞されたばかり。今回、杉本さん自ら手がけたIZU PHOTO MUSEUMでの開館記念個展、「杉本博司―光の自然」展は文化賞受賞の喜びと共に開幕した。
新しい美術館は、2つの展示室、庭を眺める部屋の3つの空間とブックショップから成り、エントランス正面には大きな根府川石がこの美術館が完成するまでのストーリーを物語るかのように置かれている。
第1室 静電気という妖怪と戦いながら

まず注目すべきは、銀座「ギャラリー小柳」でも新作が展示された「Lightning Fields(放電場)」シリーズを、大判パネル12枚の六曲一双屏風に仕立てた大作。この作品は、カメラもレンズも使用せず、暗室内で幾度にも重なる放電実験を繰り返して生まれた。19世紀に開発された、静電気を意図的に起こす静電高圧発生装置を用い、40万ボルトの電圧をフィルム上の空中で放つと「バーン!」という音と共に偶然の形が焼き付けられる。そこから絵画的な部分だけをコンポジットする。放電制作の過程で感電の危険を感じ、水中放電に切り替えると日本絵画の水墨画や大和絵の着想に辿り着く。そんな試行錯誤の果てに、金剛寺の「日月山水図」に見立てて構想した『放電日月山水図』が出来上がった。
水中放電時に、太古の海水成分が封じ込められているヒマラヤ山の岩塩から当時の海水を再現して電源的インパクトを与えるという方法は、40億年以上前にアミノ酸を含む隕石が水を持つ地球に衝突して生命が発生したという仮説――生命の連鎖発生の起源にも通じる実験と言える。確かに作品を見ていると、分子が蠢いて作中で生きているかのように錯覚する。合理主義と神秘主義の2つの性質を持つという杉本さんが作り出したこの作品は、ユニバースなスケールで生まれ、そこから生命が誕生しても不思議でないような神秘を感じさせる。
第2室 庭を眺めるための部屋
40トンもの石を使ったモンドリアン風の庭園をじっくり眺める。これらの石は、良質なものを求めて箱根の山を越えて捜し出され、古墳時代のような製法で、人の手で一つ一つ積み上げられていったという。近年、日本古来の石組みの技法について各地で見聞してきた杉本さんは、庭を構成するにあたって一番重要な石、“景石”を選ぶことから始めた。
「自然石の平積みによる石垣を作ろうと思っていたのだが、大きな石を並べ替えるうちにその姿は次第に古墳の石室のような姿になっていった。組み上げてみるとちょうど人一人が横たわるのに充分な広さだ。そして床石、天井石、壁石、と殆ど人の手を加えずに、石と石とはお互いを支えあって、まるで今発掘されたばかりの古墳の石室のような姿で自から現れてきた。この場所は富士山の裾野部分に位置しているので、いつ頃から人が住み始めたのかを調べてみることにした。すると近辺には縄文時代の遺跡をはじめとして、古墳時代の古墳が散在していることが判明した。多くは農地開発で取り壊されてしまったが記録のあるものもある。そのうちの一つ、原分古墳は神社の境内にあった為に保全されていた。おそらく古墳を神の依代として土地の人々が崇め、やがてその地に神社が建てられたのであろう。私は現場から数キロしか離れていないこの古墳を訪ねてみた。そして私が試みようとしている、もしかして完成の暁には現代美術と呼ばれてしまうかもしれない私の石組みが、すでにお手本としてそこにあることを知って、不思議な思いに捕われた」と語るように、自ら石に向かい合い、無限と思われる選択肢の中から、この伊豆の土地に程近い富士山裾野の根府川石を選択した。「心に残る石の一群、私に呼びかけてくるような形、目配せをされていうような石の表情。石が私を選んでいる」
1カ月を要した石組みの現場で、ようやく完成した庭の石室で横たわった杉本さんは、まどろみの後で一体どの時代を見たのだろう。
第3室 タルボットへのオマージュ、銀塩写真へのレクイエム
2008年 調色銀塩写真
©Hiroshi Sugimoto Courtesy of Gallery Koyanagi
フィルムに直接電流を流し光跡を焼き付けた「Lightning Fields(放電場)」シリーズは、写真術のパイオニアの一人、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが中断した放電実験から影響を受けている。タルボットは植物学、化学、光学、数学、物理学、哲学から考古学まで多岐にわたる学者でもあったが、その彼には絵を描く才能が欠けていた。そのコンプレックスを乗り越えて発明したのが、鉛筆を使わず、光そのものが輪郭を描く“写真”。そのタルボットが残した紙ネガに想を得、170年という時を経て浮かび上がった杉本さんの新作「光子的素描:フォトジェニック・ドローイング」は、ネガという楽譜を杉本さんが変奏するという大胆かつ野心的な試みだ。
杉本さんの手で蘇った写真たちは、魔法にかかったよう。淡く儚い光の素描はまるでファンタジックな夢の世界。170年以上も前に枯れた「葉と花の茎」は植物の確かな記憶を今日へと伝えている。タルボットが当時写し出された紙の上を初めて見たときに感じたであろう興奮が伝わってくる。英国の居城、レイコック・アビーの家庭菜園で摘まれたと考えられる「おそらくローズマリー」は作品から新鮮な香りが漂ってくるようで今まさに料理に使われようとしているかのように見える。当時絵画のような写真は絵としか一般の人には見えなかった故、評判にならなかった。しかしタルボットが発明したネガ・ポジ法写真の技術は170年以上に渡り映像と芸術の世界に影響を及ぼしてきた。
デジタル機材や加工技法が普及し、銀塩写真が終焉の時代を迎えつつある今、銀塩写真へのレクイエム「光の自然」展は、歴史に刻まれる展示となるだろう。写真に息づく生命を感じるべく、現代美術作家、杉本博司の世界観をクレマチスの丘で享受していただきたい。
text / Noriko Honma(Legends Press)
参考文献:杉本博司 光の自然(IZU PHOTO MUSEUM発行)
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IZU PHOTO MUSEUM 開館展
「杉本博司―光の自然」展
会期:開催中〜2010年3月16日(火)
開館時間:11〜1月は10:00〜16:30、2〜3月は17:00まで
休館日:毎週水曜日(祝日の場合は営業、その翌日休)、年末年始2009年12月28日(月)〜2010年1月6日(水)
入場料:大人 ¥800
会場:IZU PHOTO MUSEUM 静岡県駿東郡長泉町クレマチスの丘347-1(電車の場合:JR東海道線「三島駅」より無料シャトルバスあり) Tel:055-989-8780
■杉本博司アーティストトーク「アートの起源」
2010年1月23日(土)14:00〜 ※要電話予約 Tel:055-989-8785
(写真上)IZU PHOTO MUSEUM入口 ©Hiroshi Sugimoto/IZU PHOTO MUSEUM
(写真下)クレマチスの丘/ヴァンジ彫刻庭園美術館 庭園
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