最後のあとがきまで読み終わったあと、本を閉じてしばらく目を閉じた。ひたひたと胸に満ちてくる 感動を味わいたかったから。
しかしこの本は、人を感動させようとか、泣かせてみようとか、わかってもらいたいとか、そんなことをまったく考えないで、ただ淡々と自分の内面で起こっていることを書きつづっただけだ。その言葉がこんなにも美しいとは!
著者のダニエル・タメットくんは1979年ロンドンに生まれた。誕生直後から、両親はわけもなく泣きわめく息子に手を焼く。2歳になると壁に血が出るまで頭を打ちつけたり、保育園にいっても外の世界にまったく関心を示さないためほかの子どもと遊ぶことができなかったり、十分に眠ることができずに夜中に歩きまわったりする彼に、両親はますます悩んだ。幼児のときに、重いてんかんの発作を起こして生死の境をさまよったこともある。
そんな彼にくだされたのは、アスペルガー症候群とサヴァン症候群という脳の発達障害の診断だった。巻末の精神科医である山登敬之氏の解説によれば「サヴァン症候群は、自閉症者の十人に一人、脳損傷患者あるいは知的障害者の二千人に一人の割合でみられる」脳の発達障害であり、「記憶、計算、芸術などの領域において超人的な才能を発揮する」という。一方、アスペルガー症候群は「自閉症のごく近縁にある障害」で、一つのことに異常にこだわったり、外の世界と交流がはかれない症状があるという。
この障害をもっている人にとっては、たとえば身なりを整える、あいさつを交わすといったごく基本的な社会的行動に困難を感じる。またほかの人の感情を理解し、相手の考えに関心を持つこともむずかしい。それでもタメットくんは自身の非常な努力と両親の深い愛情に支えられて学校に通い、しかも数学、歴史や言語に非凡な才能を示して優秀な成績で高校を卒業した。
その後、イギリスの貧困家庭の子どもが、東ヨーロッパでボランティアの仕事につくチャンスを与えるという国際的慈善支援団体の企画に応募し、リトアニアで英語を教える仕事につく。タメットくんが生まれてはじめて親元を離れて暮らしながら、リトアニアの人々との交流によって成長していくくだりは、本書でもっとも感動的だ。
サヴァン症候群の人々に独特な「共感覚」と呼ばれる、脳のなかで起こる不思議な現象についても、タメットくんはシンプルな言葉で説明する。「共感覚」とは「複数の感覚が連動する珍しい現象で、たいていは文字や数字に色が伴って見える」というもの。タメットくんの場合は、数字を見ると色だけでなく形や質感、動きまでもともなって感じられるという。「たとえば、1という数字は明るく輝く白で、懐中電灯で目を照らされたような感じ。5は雷鳴、あるいは岩に当たって砕ける波の音」と彼は説明している。

その感覚と恐ろしいほどの記憶力のおかげで、タメットくんは「π」の小数点以下22514桁まで、ひとつの間違いもおかさず、5時間9分というイギリスとヨーロッパにおける新記録で暗唱した。 だがそんな「栄誉」の部分の華やかさよりも、本書の美しさはやはり、脳のむずかしい障害をもちながら、周囲の人と感情の交流がはかれるようになるまで成長していく自分を、客観的に観察しながらつづったタメットくん自身の言葉にある。人間のなかにひそんでいる奇跡的な力と、言葉の持つ美しさをあらためて教えてくれた本だった。
(text / motoko jitukawa)
『ぼくには数字が風景に見える』
ダニエル・タメット、古屋美登里訳
講談社 ¥1,785(税込)
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