ときどき、映画が観たくてたまらなくなるときがある。締切が刻々と迫ってきて、台所には汚れた皿が山積みで、たたまれていない洗濯物を蹴飛ばしてベッドにたどりつく、というようなカオスのただなかにいるとき。そんなときこそ、映画の世界に浸りたい。家族はそれを「現実逃避」と呼ぶ。だが、私は映画の世界にあくまでも能動的に「行きたい」のだ。逃避ではない。
ここではないどこかに行きたい。自分とはまったく違う人の人生を経験してみたい。そんな欲求にかられたときに、家庭も仕事も放り出して家出したり、海外に逃亡したり、破滅的行動に走ってみたりする前に、その欲求を鎮めてくれるのが、私の場合映画と本である。
だが、欲求を鎮めてくれる映画は数少ない。これだけの本数の映画が毎週のように封切られ、レンタルショップにはくらくらきそうなほどDVDが並んでいるというのに、私が求めている映画はいったいどこにあるのだろう? ハリウッドの超大作や、「泣きます!」が売り文句の感動もの、タレント本や人気漫画を映画化した作品にも、まったく食指が動かない私が頼りにできる映画情報はどこにあるのだ?
そう思っていたとき、本書に出会った。『ジュリエットの卵』『少年は荒野をめざす』(好きな漫画です)などの作品がある漫画家、吉野朔美さんの映画評と印象的一場面を切り取ったイラストから成っている。取り上げられている111作品は、古いものから昨年公開されたばかりの作品まで制作年代はいろいろ。ジャンルも『パイレーツ・オブ・カリビアン』のような大人も子どもも楽しめるエンターテインメントから、『パリ・ルーヴル美術館の秘密』『ダーウィンの悪夢』みたいなドキュメンタリーまでいろいろ。制作された国も、大国小国とりまぜての欧米、アジア(韓国、日本、中国、香港)ばかりでなく、南米(ウルグアイやアルゼンチンなど)、中近東(イランやイラク)ととても広い。ほんとに偏見なく、こだわりなく、よく観ているなと感心し、それだけで本書には信頼を置いてしまう。
しかし、取り上げられた作品は無差別に選ばれてはいない。吉野さん自身はどんなところを選択基準にしているかは明らかにしていないのだが(ご自分の趣味で選んだとは言っておられるが、単なる好き嫌いという「趣味」ではない)、私が思うに、「この映画を撮りたい!」という監督の強い思いが伝わってくる作品を選ばれているような気がする。そしてその紹介の仕方には、映画という表現方法への愛と、作品と作者への真摯なリスペクトがある。たった一枚の絵と短い文章で、その映画で監督が何を伝えたかったか、それについて自分がどう思ったかを読者に伝えるのは、絵や文章の技量以上に「愛」なのではないか。1ページごとに作品に対する吉野さんのシンプルな情熱と優しいまなざしが感じられる。こんな風に観てもらったら、制作者はうれしいだろうな。

ちなみに、111作品中私が観たのは42作品。いずれも印象に残っている作品ばかりで、「吉野さんと一緒だ!」とそれだけでもうれしかった。そしてこれを読んで、どうしても観たいとレンタルショップに走って(ついさっき)借りてきたのが8作品。(一番に観たいのが『亀も空を飛ぶ』と『恋の門』)今週末は、家事も仕事も放り出して、映画の世界にどっぷり浸りたい。
(text / motoko jitukawa)
『シネコン111 吉野朔美のシネマガイド』
吉野朔美著 エクスナレッジ¥1,680(税込)
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