cinema続けるべきか、別れるべきか。見極められる“最後のセックス”。

『ふたりの5つの分かれ路』は、あるカップルの5つのエピソードを通じて“別れる理由”をあぶりだしてゆく物語だ。映画は時間を遡ってゆく斬新な構成で、冒頭で描かれるのは離婚手続き。その足で安ホテルに入ったふたりは“最後のセックス”をするために服を脱ぎ始める。多くの女性にとって「ありえない」この展開を望んだのは、離婚を言い出した妻である。ふたりは別居して久しいが、いまだに本気になれそうな相手は見つからない。小学生のかわいい息子もいるし、そもそもが保守的な夫は離婚を望んではいない。そんな中にあってなお妻がこの“儀式”を望んだのは、思うに、たったひとつの理由から。本当に別れて正解か――その最終確認がしたかったのだ。

人間の身体がぶつかり合う肉弾コミュニケーションは、現代社会ではケンカを含む格闘技とセックスぐらいである。言葉のコミュニケーションとの違いは、かなり面倒くさいし疲れること。1日に見知らぬ100人と話せても、その全員を倒すのはちと厳しい。身体のコミュニケーションには特定の相手への目的や強い願望が必要で、それを実現するための能動的な行動が欠かせない。その上、言葉の意思疎通のように互いの思い込み(「伝えたつもり」&「分かったつもり」)による幸せな結末はありえないから、勝負は相手の肉体感覚をいかに汲み取れるかにかかっている。
ここをこうすりゃ痛い(気持ちいい)はずという誤った思い込みは、敗北とセックスレスにつながってしまう。必要なのは「相手の気持ちを理解」し「自分には何ができるか」と考えること。この姿勢は別の言葉で言えば、愛である。

さて映画の続きを。服を脱いだ妻は胸を隠しながら、夫が待つベッドへ滑り込む。「離婚したから隠すのか」と憮然とする夫に「わからないわ」と答えるものの、妻はその瞬間にわかっちゃっている。「この男にはもうおっぱいが見せられない」。そこで彼女は中止を提案するのだが、夫は腕力でねじ伏せ強行突破。挙句の果てに「やりなおしたい」とのたまう。この男の愛のなさっぷり、思い込みっぷりは、むしろ清々したものだ。一人部屋を出る妻のバックに流れるイタリアのナツメロは、祝祭的に明るい。
(text / Shiho Atsumi : 渥美志保blog 無意味でおバカな笑いをあなたに…)
CINEMA INFORMATION
『ふたりの5つの分かれ路』(5×2)

監督・脚本:フランソワ・オゾン
主演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ステファン・フレイスほか
配給:ギャガ・コミュニケーションズ Gシネマグループ
劇場情報:8月20日よりシャンテ・シネほか全国にて順次公開

バックナンバーを見る

このページのトップへ戻る

バックナンバー

バックナンバー一覧


サイト内検索