『ドア・イン・ザ・フロア』の主人公マリアンは、事故で2人の息子をいっぺんに亡くした母親だ。夫は事故とも彼女とも向き合うことを避け、彼女は悲しみと孤独にどっぷりと浸かっている。こう言うと映画はよっぽどヘビーに聞こえるが、ところどころにアッケラカンとした笑いさえ散りばめられている。それがジョン・アーヴィング原作の特徴だ。『ホテル・ニューハンプシャー』『ガープの世界』『サイモン・バーチ』など、かれの作品の登場人物たちは誰も彼もひどく傷ついているが、悲しみだけに終わることはない。
もちろん『ドア・イン・ザ・フロア』も例外ではない。マリアンは小説家である夫の助手、高校生のエディと寝ることで再生してゆく。人生の歓びを知らないまま死んだであろう息子たちが不憫でならない彼女の気持ちは、息子に良く似た顔のエディ(もちろんこちらも童貞)と関係することで浄化されてゆく。こういうある種の背徳さえも、アーヴィングは許してしまう。道徳的な正しさが人間を押しつぶすなら、たとえそれが不道徳な行為でも彼は人間を救う。正しいばかりが愛とは限らず、愛ばかりが正しいとは限らない。救ってくれる愛がなければ、愛でなくてもかまわない。 |