これまで、『秘密の花園』では庭、『太陽と月に背いて』では詩をモチーフに、主人公たちの心を映し出してきたホランド監督。同様にこの作品では、音楽、特に後期弦楽四重奏 <大フーガ> に、ベートーヴェンの心情を雄弁に語らせている。

「後期弦楽四重奏曲 <大フーガ> には、私自身、特別な思い入れがあります。最初に聴いたのは17歳ぐらいのとき。両親がクラシック好きだったので、コンサートに連れて行かれましたが、まだつまらない音楽だと思っていました(笑)。でも、その頃付き合っていた男性、後に夫となりますが、彼がこの音楽のレコードをくれたんです。それで改めて聴いたとき、音楽を聴く喜びに目覚めたんです。脚本を読んだとき、この映画は4人の主人公、つまり第九、大フーガ、ベートーヴェンと弟子のアンナという4人が織り成す物語にしようと思いました。音楽を映画で表現できる喜びを存分に味わわせてもらいましたよ」

大胆な解釈で描かれたベートーヴェンとアンナの師弟関係が軸となる作品だが、最初に脚本を読んだときの感想を監督はこう語る。

「ベートーヴェンについてはたくさん伝記も出版されていますし、研究している人も多い。でも、映画としてはもっと人を驚かせる要素が必要だと感じていたところに、アンナという人物が登場したので、とても心惹かれました。オリジナリティのあるキャラクターですよね。若く才能のある女性であり、自分の才能を生かしたいと思いながら、才能ある巨人も助けたいと思っている。一方で彼を慕いながらも利用したいという気持ちも抱えているんですね。でも、天才の意外な一面、思わぬ弱さを見つけ、それを認めながらも許し、なおかつ関係を保っていこうともする。普通の恋愛というのではなく、二人の関係は音楽が取り持っている。音楽が二人の会話であり、繋がりであるというところを描きたかったんです。このテーマは、自分に引き寄せて考えることができました。私も、映画学校を出たばかりの才能に溢れる若い女性だった頃、巨大な才能(アンジェイ・ワイダ監督)に出会いました。そして敬愛する彼に教えられながらも、自分の才能を世に伝えたいと思った。そんなせめぎ合いを経験していますから、二人の関係を描き込むことができたと思います」

そんな二人の関係を象徴しているのが「第九」の初演シーンだ。聴覚障害により耳が聞こえなくとも指揮を執ろうとするマエストロと、彼のために舞台の陰でタイミングを取り続けるアンナの必死な姿が印象的だ。

「これは映画が成功するかどうかの鍵を握るシーンでした。このクライマックスの後のシーンに観客を引き込み、より理解してもらうためのものだからです。エド・ハリスの弛まぬ努力、音楽をマスターし、楽譜なしにそらでタクトを振れるようになるところまで勉強してくれた彼の、そしてダイアン・クルーガーの努力が、素晴らしいシーンを作り上げてくれました。10分に及ぶこのシーンは映画で言えば長い時間ですが、交響曲の中では短い時間。その中で交響曲の美しさを表現しなければなりませんでしたから、カットしなければならないシーンもあり、それは悲しくもあり非常に苦労のいるものでした」。

もうひとつ難しかった点は、初演の感動というものをスクリーンを観ている人にもどう感じてもらうかだったとか。

「今では誰もが知る名曲ですが、映画の中では皆が始めて聴く曲。まるで初めて聴くように鳥肌が立つような感動を体験してもらいたいと思って撮影しました。このシーンでベートーヴェンとアンナの象徴的な愛が融合するわけですから、これはある意味ではラブシーン。これまで見てきたラブシーンとは違ったものではありますが、とても成功していると思います。皆さんにも楽しんでいただきたいと思います」

アンナという女性は劇中、婚約者との愛に生きるか、ベートーヴェンとの師弟愛に生きるかで悩みはじめるが、そんな葛藤には現代の女性の悩みにも通じるものがある。実はアンナの心情には監督自らの経験も大いに反映されているという。

「夫も映画監督だったので、仕事に理解はありました。でも、私の方が監督として有名になってしまったことで関係が少し難しくなったりもしましたね」

アンナの葛藤も、監督自身の体験も、女性が成功するとき、特にクリエイティブな分野で成功するというときに直面する困難のひとつの例なのだとホランド監督は話す。ただし、どんなに葛藤が大きくとも、芸術家は高みを目指さずにはいられない生き物なのだとも。

「映画の真ん中にベートーヴェンが体験する人生の絶頂を持ってきた理由は、“真の芸術家の最高の仕事というのは明日やる仕事”と言われるものだから。大成功したから“よかった”、で終わりなのではなく、成功すれば成功するほど、より高みを目指すのが芸術家。ですから、自分の内部に常に耳を傾けて、決して現状に安心することなく、よりリスクのあるより苦しい世界に進んでいく。アンナはベートーヴェンを見ることによってそれを学ぶのです」

心の底から尊敬できる存在というのは、恋人であろうと友人であろうと、親であろうと上司であろうと、自分をより高め、人生を豊かにしてくれるもの。そんな大切な人のことを心に思い浮かべながら、壮大なる愛のドラマに浸ってみてはいかがだろうか。

(text / june makiguchi, photos / pawel jaszczuk)



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