古来、香料は儀式などに使われたが、香水はヨーロッパ人の生活習慣から発達した。馥郁たる香りは典雅なボトルを生みだし、香水はひとつの文化となっていったのである。
香料の歴史は古代エジプト王朝期、クレオパトラの熱愛したといわれる調合香料「キフィ」にまで遡ることができるし、また古代ローマ時代はバラの花から作る香料が大量に消費されたという。
古代から香りは上流階級の愉しみであり、また嗜みでもあった。それが「香水」としてより近代的に生産されるようになったのは18世紀ぐらいからのこと。なぜかというとヨーロッパ人の「臭い」と関係しているのだ。
ヨーロッパ人に風呂に入る習慣がなかったことは、あまり知られていない。いや、ヨーロッパ各地に古代ローマの遺構があって、ローマ風呂もあるじゃないか、という人も多いだろう。英国の古都バースにまでローマ征服時代のローマ風呂の遺構はあるのだから。しかしヨーロッパ人がこうした公衆浴場を利用したのは14世紀ぐらいまで。16世紀頃には人前で裸になるのは野蛮なこととして風呂に入る習慣は次第に廃れてゆく。啓蒙思想家はこうした「野蛮」を排す倫理を説いたが、じつはその彼らが野蛮なほどの体臭を放っていたのである。身体を拭くこと自体も衰退し、まさに18世紀は臭いの世紀。王妃も貴族も町娘も娼婦も最下級の労働者も、みんな臭かったのである。
それを解消するために貴族たちは香水を求めた。ルネサンス時代から香水産業は徐々に発展してゆくが、とくに南仏グラースは、その中心地となる。というのもここは革なめし産業の地であって、その臭いを消すために香水産業も生まれたのである。しかも地中海性温暖気候とあって、香料植物栽培にはうってつけの地でもあった。
こうしてグラースは皮革産業と香水産業の地となるが、フランス革命直前、ルイ16世の徴税政策が皮革産業に非常に厳しかったため、皮革業者はイタリアに逃亡。かくしてグラースは香水産業の町として知られるようになる。
グラースが香水産業で大発展する18世紀後半、パリでは香水メーカーが続々と生まれてゆく。1760年のシリス、1775年のウビガン、1828年にはゲラン……ことにフォーブール・サン・トノレのウビガン香水店は王妃マリー・アントワネットも愛用し、革命勃発でパリから逃れるときにはウビガンに寄って、香水を買い足していったという逸話まで残っている。ウビガンはナポレオンの后ジェスティーヌにも愛用され、20世紀に入っても老舗として存在し続けた。
18世紀ヨーロッパは、体臭を消すために香水をつけるという対症療法的な時代だが、19世紀後半からやっと「公衆衛生」という概念が生まれ始める。石鹸も使われるようになり、日本人よりはよほど少ないが月に数回は風呂にも入るようになる(上流階級のみの話)。そして香水で身嗜みというわけだ。
ゲランの創始者ピエール=フランソワ=ポール・ゲランは、イギリスで医学と化学を学んだ調香師(パフューマー)だった。この伝統は甥のジャック・ゲランに引き継がれ、ルール・ブルー、ミツコ、シャリマー、ヴォル・ド・ヌイなど今なお知られる名香を生むことになる。
ジャック・ゲランは瓶にもこだわり、これらの香水瓶はバカラ社に制作を依頼した。香水は香りだけでなく見ても愉しいもの、それは初代のポール・ゲランがガヴァルニに瓶のラベルを描かせたときから続く伝統でもある。
1907年にパリのヴァンドーム広場23番地に開店したコティの店は、幸運にもルネ・ラリックの店の隣だった。彼もまた瓶の美しさを求めラリックにラベルのデザインを依頼する。それが評判となったために今度は、瓶そのもののデザインも依頼。ルネ・ラリックを香水瓶に導いたのはコティだったのである。ちなみにラリックが残した香水瓶は200種類以上、バカラは有名ながら60種程度といわれている。
このコティから引き抜かれた調香師がエルネスト・ボー。かの〈シャネルNo.5〉をそれまでの自然香料主体からアルデヒトなどの合成香料を作って、いまだにベストセラーにしている稀代の調香師である。クリスチャン・ディオールの〈ミス・ディオール〉は、ジャン・カール。〈バラ・ヴェルサイユ〉は、ジャン・デプレと歴史に名を刻んだ調香師は数多い。
香水とは人類が生んだ最も蠱惑的な存在かもしれない。香りという実態のつかめないものであり、液体ではあるが揮発してしまう。しかもそれが美しいボトルに入れられたとき、さながら宝飾のような輝きをもつ。だから女性はいくつもの香り、いくつものボトルを求め続ける。
クチュリエ=ファッション・デザイナーが、自分のブランドの香水を出すのもその魅力=魔力に気づいたからにほかならない。歴史上、最初のクチュリエ(仕立て屋ではなく、クチュール・デザイナー)といわれるシャルル・フレデリック・ウォルトは、イギリスからパリに移り、自分のクチュールを成功させると、<Dans La Nuit>というルネ・ラリックがボトルをデザインした香水を1885年に発売する。この成功によって次の世代ポール・ポワレもその次の世代シャネルもクチュリエたちは、みな服のほうで成功すると香水を発売するようになる。今や香水産業は化粧品業界よりもファッション・ブランドで繁栄しているのは、こうした伝統によるものだ。
私事になるが、香水に興味をもったのはボトルからだった。アール・デコ様式のパキャンに魅せられ、そこからゲランの古いもの、あるいはミス・ディオールやカボシャールの初代などを蒐集してきた。「未開封」で箱付きというコレクター的な集め方をしてきたため、ここに香水に関して書く資格があるかどうか疑問に思わなくもない。なぜならば……私はそれらの香り!を知らないのである。
長澤 均 / Hitoshi Nagasawa
グラフィック・デザイナー、服飾史家。CASIOのリスト・ウォッチのデザインや美術館のWEBサイトのデザインのかたわらモードやデザインに関する文章を雑誌などに執筆。著書に『BIBA Swingin' London 1965-1974』(2006)『ロゴ・モンド』(2006)などがある。2007年6月には日本のGRAFITTI ARTに関する著作を刊行予定。
※本ページに記載したヴィンテージ・パフューム・ボトルは、すべて長澤氏所蔵品であり、撮影も執筆者本人による。