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vol.2 story telling 落語家 柳家花緑さんインタビュー
柳家花緑 Karoku YANAGIYA/落語家
柳家花緑

1971年8月2日、東京都生まれ。落語界初の人間国宝である故・五代目柳家小さんを祖父に持ち、9歳でデビュー。中学卒業後、正式に入門。戦後最年少・22歳で真打ちに昇進する。『花緑ごのみ』をはじめとする独演会を全国で展開、都内での定例落語会を持つ人気噺家。俳優として舞台や映画にも出演、テレビ・ラジオでのナビゲーターやナレーター、執筆活動などさまざまなフィールドで才能を発揮している。最近では、朝の情報番組『とくダネ!』(CX系)の「新・温故知人」のコーナーで全国にその存在を知らしめている。落語界のホープとしてはもちろん、今後のマルチな活躍を期待されている。

すべては、お客差様の熱狂のために 落語界のサラブレットとしての光と影

五代目小さん師匠をおじいさんに持つ花緑師匠ですが、落語界に入ることに抵抗はなかったのですか?

実家には内弟子さんがいたり、落語があるのが当たりまえの環境だったので、まったく抵抗はなかったですね。僕たち兄弟の道筋を作ってくれたのは母なのですが、兄はダンサー(小林十市氏/元ベジャール・バレエ・ローザンヌ団員)、僕は噺家と非常に個性を見極めていたと思います。母曰く、噺家はいろいろな人物を演じなくてはならないから庶民的な顔の私のほうがいいだろうと(笑)。子どもの頃は、単純にネタを暗記して披露するだけで、まわりの大人たちから絶賛される。お調子者だった僕にとって、こんなにうれしいものはなかったですよ。キッカケは祖父ですが、自分の意思で落語家になりました。

中学卒業後、正式に入門。当然、サラブレッドとして注目されますよね。

一目は置かれますよね。期待度も高いし、優遇されていたでしょうね。これは、いかに五代目小さんが偉大だったかという象徴でもあると誇りに思います。ただ、環境に甘やかされるのはイヤだし、自分が正当に評価されているのか不安になることもありましたよ。二ツ目になった18歳頃はずいぶんと悩みました。「小さんの孫」ではなく「僕のおじいちゃんが小さん」と言われるようにならなくては、と頑なでした。その後、尾崎豊さんの歌に出会い、急にヘンな反骨精神が芽生えちゃって、親や師匠に反発してみたり(笑)。変わろうと努力する自分はおもしろかったけど、いつも不安だらけ。それは22歳で真打ちになっても変わらず、30歳くらいまで続いていましたね。

粋なしぐさで浴衣美人

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